幼稚園バスが到着する。

「おはようございます、翼くん」

幼稚園のおばあちゃん先生が翼に挨拶する。
翼も声が出ない分、大きな動作でお辞儀をする。
そんな光景を毎朝第三者的に見るのが、私の楽しみでもあった。



「あ、翼くんのお母さん。ちょっと・・・」
「あ、はい?」


幼稚園の先生が呼び止めるといういつもと違うことに、少し驚いた。
先生の顔は、はっきり言ってしわくちゃで、紙一枚はさめそうだった。



「今日もお仕事ですか?」
「はい。そうです」

「お迎えはいつもの時間に?」
「はい」



目を細める先生。しかしその目はしっかりと私を見ている。
いや、逆に私を見ていなかったのかもしれない。
私の中身の方を観察しているようだった。


「そうですか。お待ちしてます」
「えぇ・・・どうかしたんですか?」

「それは・・・お迎えのときに」
「はぁ・・」



お仕事頑張ってください、とだけ言うと、先生はバスに乗り込んでいった。

私はしばらく顔をしかめていたが、これから始まるいつもの光景に、いつもの感覚が自然に戻ってきた。



ブロロロという低い音を出しながら去っていくバス。
私はいつもその光景を、体の向きを変えずに、顔だけ向けて見送る。
体はむこうを向いているけど、顔はまだ翼の乗っているバスを見続けている。
バスが曲がり角を曲がりきったところで、顔もようやく体と同じ向きに戻る。
そして私の中のスイッチを押す。
今度は働く女のスイッチ。


パキ、パキという音を立てながら、私は歩き出した。











「美香子さん、部長がお呼びですよ」
「うん、ありがとう」



部下が目の前を通り過ぎながらの会話だった。
目を合わす暇がないくらい忙しいオフィス。この場所では誰もが切羽詰まっていた。
今が追い込みの時期だからだ。


私は仕事を一段落させると、部長室へ向かった。
イスを3つほど使ってベットを作り、寝転がっている新人を跨ぎ、小走りする同僚をよけながら。

オフィスの奥にある一室にたどりつき、軽く深呼吸してから、ノック。



「はい」



短い返事が聞こえ、中に入る。



こぎれいに整った部長室は、取引先からの贈り物や、怪しげな壷、ゴルフセットなどが飾られている。
部屋だけを見ると、大体の人は、この部屋を使っている人物はバーコードのハゲ親父をつい連想してしまうだろう。
しかし、この部長室を使う人物は、つまり、私を呼んだ部長というのは、バーコードとはほど遠い存在の人物。



「あ、悪いわね、美香子」
「いいえ。お呼びですか?」

ストレートの髪は、彼女の性格を色濃く表している。
黒のベースの大人の女を感じさせるスカート。
まさにキャリアウーマンという感じの女性が、私達の上司。





「ええ、例の件で、クライアントから追加の依頼が来たの。詳しくはパソコンに送っとくけど、一応直接言っとこうと思って」
「本当ですか。よかったです」


「評判もいいのよ、結構」
「うれしいです」


部長は、自分の左手の爪をじっと見る。
わかってる。この仕草をするときは、プライベートな話へ移るときだ。
一時、働くスイッチを切れという合図。


「でさ、今日、どう?」
「……いつものとこ?」


飲みにいく誘い。
さっきまで敬語だったのに、急にタメ口で話しだした私達は恐ろしい二重人格だとおもう。
でも、ちゃんとけじめをつけるっていう約束だったのだ。




由季は、私の上司であると同時に、同期であり、高校のときからの親友だった。
彼女は高校のときからいつも私の前を行く存在で、いつまでも越えられない壁でもあった。
いつだって彼女は私よりも優秀で、いつだって、私に優しかった。


この部署に転属が決まったのも、落ちこぼれていた私を、彼女が引き取ってくれたと言っても過言ではない。
私は生活のためと、彼女のために、ここまで仕事を頑張ってきた。

由季の期待を裏切らない為に、頑張ってきた。



「うん。7時でいい?」
「うーん……翼のおむかえ行かなきゃ行けないから」

「じゃぁ今日は5時に上がっていいよ。話したいことが……あるから」
「そう?じゃぁ……5時に」




いつもと違う由季の表情に、私はまた首を傾げた。


「どうかしたの?」
「うん、ちょっと色々あってさ。ぱーっと愚痴でも聞いてもらおうと思って?」



「そう……」




由季は私の背中をポンッと押す。


「さ、5時まではきっちり働いてもらいますからね」
「はいっ……部長」



部長室をでると、また忙しそうな風景が目に飛び込んでくる。
そこら中で、人が、何かしらしている。ぼーっとなにもしていない奴なんて一人もいない。

寝てるか、働いてるか、どっちかってかんじだ。




フン、と一息置いてから、またデスクに向かった。
今日も、やらなきゃいけない仕事が山のようにある。


5時までには終わらせなきゃ。

 

 

 

 

 

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