最終日
いつも通る通学路に、キラキラと舞う桜の花びら。
風の強い日には、その花びらたちはいっせいに囁き合い、舞い散る。
人々はそんなちっぽけな薄っぺらい花びらを、『奇麗だ』と愛おしそうに目を細める。
一年のうちで、つかの間の光の時。
その時を精一杯に生きる桜に、私はなりたい。
「……♪♪」
聞き飽きたとまで言えるほどの携帯の着信メロディー。
その音楽を聴くと、無意識に心が躍った。
ウェディングドレスのパンフレットを見ていた私は、ベットから飛び上がった。
ガラスの机の上に置いてある携帯電話。
彼からだ。
「はい、もしもーし?」
元気に電話に出る私。
しかし、私の声の高さと、彼の声の高さとのギャップがありすぎた。
「……あ、春?」
妙に携帯が冷たく感じた。
「あ……えと、どうしたの?なんか暗いけど」
「うん……」
絶対様子がおかしかった。
声のトーンが低いし、いつものように私をつつんでくれない。
「私の彼氏、声だけはいい!」なんて、友達に自慢したことだってあったのに。
彼の声は、冷たくて、低かった。
「俺たち、別れよう」
「……」
彼は少し間を置いてからそう言った。
それは不意打ちなんて生温いことじゃなくて、
もうホントに、目の前が一瞬で真っ白に……真っ暗になったようだった。
思考がとまっている。動きそうになかった。
「俺も考えたんだけど……やっぱりダメだ」
「なにを……言ってんの?」
「お前と結婚なんて……無理だよ」
「なんで?ちょっと待ってよ、どういうことなの?!」
「俺、もうだめだ。ごめん。ごめん、春……」
「ちょっと……意味わかんない!ちゃんと説明して!!」
もう自分で何言ってるのかわからなかった。
クローゼットの上にはいつものように彼との写真が飾られてたし、
テーブルの上にはまだ彼の灰皿だって、灰殻だって残ってた。
なんにも変わってないはずだったのに。
「もう……会えない」
「……」
「ごめんな、春」
「……」
プツッ……
虚しい音。耳を通って、頭を巡って、そして心臓に突き刺さった。
ホントに意味がわからなかった。
私に落ち度があったって言うの?
結婚を控えてたのに。もうすぐゴールだったのに。
私は彼を信じて、最高のパートナーだと思って走り続けてきて、これ?
ゴールをくぐり抜けて、そこから始まるまた新しい道を行こうとしていた。
私は、この道でどうすればいいの?
「……♪♪」
「!」
携帯が震える。
もしかしたら、考え直してくれたのかもしれない!
彼かもしれない!!
「もしもし?!」
「はっ……あのっ」
ん?
「……」
「あの、今晩和。突然のお電話申し訳ございません。
この度お世話になります、R&Wウェディングプランナーの水無瀬夏彦と申します。
小林春さまでいらっしゃいますか?」
「……」
「あ、あのー、小林春さまでいらっしゃいますでしょうか?」
「……」
「すみません、小林春殿であらせられますでしょうか?」
彼じゃなかった。
しかも……ウェディングプランナーだと?!
「なんで?」
「はっ?!」
私の突然の質問に、新人プランナー夏彦は"すっとんきょー"な返事をした。
『そりゃこっちが聞きたいわ』と言っているかのように。
「なんであんたなの……」
「いっ」
「私は……私は……」
「あのっ……お客様?」
「私はただ、彼と一緒にいたかっただけなのに!」
「……」
「聞いてよ!彼、今電話よこしたの!『もう別れよう』って……ありえない!意味わかんなくない?!」
「……」
「今だって私、あんたんとこからもらったパンフレット見て……自分の晴れ姿想像して……」
新人夏彦は、静かに私の話を聞いていた。
何も言わなかった。
でもそれは、今の私には、下手な慰めよりも、心に染みた。
一通り話し終わると、私は息を荒げた闘牛のような姿だった。
そういえば、闘牛って試合が終わると殺されちゃうらしい。
どうでもいいことが頭をよぎって、私はさらに腹が立った。
でも、全てを吐き出したら、頭の中にあった物ががなくなったからか、妙な爽快感が残った。
「……」
「……」
私が黙ると、携帯の向こうの音がよく聞こえた。
少しだけガヤガヤして、時折人の声が聞こえる。
夏彦の上司的な人が、『おい、いつまで黙ってるつもりだ』と言っているのが聞こえた。
私は不意に、この世界に私以外の人が、今もどこかで活動していることを感じた。
当たり前のことだったけど、最近私は、心のどこかで自分中心に世界が回っていると思ってたんだ。
しばらくして、夏彦が口を開く。
「僕には、よくわかりませんが……」
「……」
「元気出してください」
「……」
ありきたりな言葉。
それでも、必死さだけは伝わってきた。
彼なりに、一生懸命に。客だからとか、お得意さんだからとか関係なく。
必死に慰めようとしていたのは伝わる。
この感覚は、前にどこかで感じたことがある。
それはもうずっと前のことだった。
彼と出会って、彼の方から声かけてきて。
一緒に話しているうちに、私も自然と惹かれていった。
彼は必死に私を振り向かせようと、いろんなことをして来てくれたっけ。
日本男児には似合わない、花束のプレゼント。
両手じゃ抱えきれないほどの安っぽい花たちに、私は心から笑ったんだ。
新人夏彦は、今にしてみればいずれは色褪せるであろう思い出を蘇らせてくれた。
なんだか泣けてきた。
「……えっと、ごめん。こんな話」
「いえ。僕は……なにも」
「なんか……さ、すっきりした。ありがと」
「そんな……全然」
「また……連絡しますので。後日」
「いいえ。こちらこそ……なんのおかまいもできませんで」
そりゃぁマニュアルには載ってないだろうね。
『結婚が急にキャンセルになった女性客のなだめ方』なんて、シュミレーションしてなかっただろう。
冷静になってきた私は、携帯の向こう側の彼を想像してみた。
記念すべき自分が担当する一番最初の客に、自己紹介をかねて、挨拶の電話。
分厚い『接客のマニュアル』なんかを片手に。肩に力を入れながら。
が、その第一号の客は、結婚直前になってキャンセルになってしまった。
どうしたらいいのかわからなくて、上司に『なにやってんだ?』なんて言われて。
それでも、ウェディングプランナーとして、一人の男として。
たった一人の女性を、また歩き出せるように導いてやれた。
これは、ウェディングプランナー歴30年のベテランでも、
難しいことだったんじゃないかと思う。
私は、彼のおかげでまた、歩き出そうとしていた。
わずか5分の会話の中で、『どうにかなる』と思ってしまった自分がいる。
今からすっぱりあきらめることもできるような気がするし、
『何かの間違いだ。もう一度あって話さなきゃ』とも思える。
とにかく、この人から電話がなかったら、私は今頃このマンションから飛び降りるか、
一酸化炭素中毒で天国へ向かうところだった。
私のことを、まだ応援していてくれる人がいた。
それだけで、嬉しかった。
「それじゃぁ、失礼します」
「はい、失礼いたします……」
私は、最後の最後に、感謝の意味を込めて、
新人夏彦が受話器を置くまで、電話が切れるまで待っていようと思った。
『失礼いたします』と言ってから、10秒ほど経ったが、
ただ、変わらず携帯の先はガヤガヤとこうるさかった。
「切らないの?」
試しに聞いてみる。
「……あの、はい。マニュアルにそう書いてありますので」
やはり手元にはマニュアルがあったか。
私は夏彦の姿を想像して微笑みながら、耳をそばだてた。
「そう。じゃぁ私から切ります」
「はい。お願いします」
「それじゃ」
『ピ』という短い音。その後訪れる静寂。
電話の相手がお墓の案内のおばちゃんだったら、こんな気分じゃなかったかもしれない。
新人夏彦じゃなかったら、私はもうダメだったかもしれない。
一歩踏み出す勇気を、ありがとう。
その光の時は過ぎ去り、花びらたちは上から下へと流れ落ちる。
ピンクのじゅうたんはふわ、ふわりと優しく春風をまとう。
空を見上げると、桜の木には青々とした芽が出始めている。
一年のうちで少ししかない輝く時が過ぎ去り、何かが足りない木々たちだが、
私はこれから見る風景も、楽しみで楽しみで仕方がない。
私達の最後の日、春は過ぎ去った。
今度は待ち遠しい、夏がやってくる。
キラキラ光る、花びらをちらつかせながら……
2006,04,17.
kayoさんに日頃の感謝と小説のお礼を込めて贈ります。
「最終日」という題名はkayoさんに付けて頂きました!
最終日ということは「別れ」……
春は「別れ」が多い時期ですよね。
でもそのぶん「出会い」だって多い。
気候も丁度いい春は大好きです。
主人公の"春"ちゃんはうちの看板娘です。
記念すべき第一発目の春は失恋な春なのでした。
もっといろんなお話を書いてみたいと思います〜
それでは読んでくださってありがとうございました。
感想等、お待ちしてます♪♪
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