そして始まる物語





「その……先日はどうも」
「い、いいえ。こちらこそ」


小奇麗に整ったプライベートルームみたいなところに連れていかれて、私は少したじたじしてしまった。

やっぱり、想像していた通りというか、期待はずれと言うか。

彼は真っ直ぐな目をしていて、それとは反対に、髪の毛が寝癖で全体的に右に跳ねている。


でも、前言撤回。”期待はずれ”ではなかったかな。





「改めまして、R&Gウェディングプランナーの、水無月夏彦です。よろしくお願いします」

「はい、小林春です。お願いします」




先週の金曜日、あんな電話をしてからの対面だったから、ちょっとどぎまぎな自己紹介になってしまった。

”あんな電話”というのは、私が婚約者に逃げられたという報告の電話のことだ。


交際三ヶ月というスピード結婚だったけど、私は本気だった。

彼に出会って、恋をして。幸せだった。

先週の金曜日、彼から別れを告げられてから、

最初に慰めてもらったのが、この新人ウェディングプランナーの夏彦だった。




見たところ、私より4、5歳上っていうところだろうか?

新人みたいだし……24歳ってところかな。






「えぇー……この度は、本当に、あの、残念でした……ね」



マニュアルには載ってない客の対処法に、夏彦はまだ台詞を考えてきていないようだった。

夏彦は、『昨日の夜あんなに考えたのになんでこう……あぁもう!』

という顔をして、無駄に書類を整えている。





「ありがとうございます……すみません。あんな電話しちゃって。困ったでしょう?」

「いいえ!そんなことは決して!」





片言過ぎて面白くなってきた。

こんだけ余裕ができたのも、あんたのおかげなんだって伝えたいな。

でもそんなこと言ったら誤解されそうだし。心のうちにしまっておこう。





「それで……婚約解消になってしまったので、キャンセルの手続きをしにきました」

「あ、はいっ。そうでしたね」



「彼……あれから全然音沙汰なくて。もうダメなんだってわかったんです」

「……あ、そうなんですか」



「だから私から、キャンセルを」

「あの、ご苦労様です」



せかせかと書類をケースから出し入れする夏彦。そんなに焦らなくてもいいだろう。

なんだか木の上で急いでドングリを食べているリスみたい。

小動物系だな、この人。




「あっれ……?」

「……どうしたんですか?」




夏彦の焦りが急速に強くなったのを感じて、聞いてみる。

ケースの中をガチャガチャとかき回して、ちらちら私の様子をうかがっている。





「あの……申し訳ございません。こちらの不備で、書類を間違えて持ってきてしまったようで……」

「あ……そうですか」

「今すぐなおさせますので……少々お待ちください」




そういうと私の返事を待たずに、夏彦は個室を出て行った。

私は彼のあまりの焦りように、目を丸くするだけだった。

ホントに、おかしいなぁ……新人夏彦。





「おいっこれ!ちゃんと昨日やったって言ってたじゃないか」

「え?あっ……すみません!やっておいたと思ったんですけど……」

「言い訳は後!お客様がお待ちだ。一言誤って、早く修正して」

「はいっ」





夏彦の部下らしき者が必死に夏彦に頭を下げてるのが見えた。

なんだ。人を使う地位にもあるんだ。すごいじゃん。

一番下っ端かと思ったのに。




「お客様、申し訳ございません。すぐに持って参ります」

「いいえ。大丈夫です。急いでるわけじゃないので」

「申し訳ございません。失礼します」



夏彦の部下は私にそう頭を下げて、夏彦よりせかせかと奥に走っていった。

部下の少し後ろでその様子を見ていた夏彦が、また頭を下げた。




「申し訳ございません。すぐになおさせますので」

「いいえ。そんなに謝らないで」

「ありがとうございます」




そういうと夏彦はまた私の目の前に座った。

なんだか、最近できたばかりの部下を初めて叱って、自分が偉くなったんだなぁと感じているような表情だった。

ミスをしたのに、なんだか誇らしげだった。




「……色々と大変そうですね。お仕事」

「いいえ。そんなことないです。僕は、まだまだ暇な方で」



「そう?ずっとリスみたいに動き回ってるから。部下さんも」

「あ、あはは……すみません、落ち着きなくて」





夏彦は初めてと言っていいほど、素の笑顔というものを見せた。

私は、”あっ……夏彦のプライベート顔が見れたわぁ”とか思ってしまった。

別に特別輝かしい笑顔でもないし、歯が真っ白でキラキラしているわけでもない。

でも、なんだか得した気分になった。




「あの……失礼ですが、おいくつですか?」


初めて夏彦から質問を受けた。

なんだか嬉しくなって、私はニコニコしながら答える。



「20歳です。この前、お酒飲めるようになったの」

「20歳?!お、お若いですね……結婚とか」

「早いよね。まだ私大学生なのに。早まっちゃったのかな、やっぱり」

「い、いえ。そういうことじゃ」



また夏彦が仕事顔に戻ってきたので、私も夏彦に質問してみた。


「あの、水無月さんは……24歳くらい?」

「あ、そうです。24……すごいですね」

「フフ。結構私わかるんですよ、そういうの。肌の張りとか、髪の毛とかで」

「へー……」


「あ、私実は大学通いながらモデルもやってるんです。知ってます?”Magical Rose”っていうファッション雑誌」

「あぁ、知ってます!え?モデルさんですか!通りで……スタイルがいいなぁとおもったら」

「やだもう。そんなことないです。でもそんな専属モデルとかじゃなくて。時々、ちょろっと出る程度ですけど」

「いやぁ〜ちょろっとでもスゴイですよ、はい」




あぁ……この人ってすっごい小さなことでも凄く嬉しそうな顔をするんだな。

真顔が笑顔で、普通にしてても、誰かを癒してるっていうか。

なんかすごい魅力の持ち主かも。




「あの、水無月さんは、どちらに住んでるんですか?」

「あ、この近くですよ。職場と近い方が良いかと思って」

「へぇ〜……じゃぁ便利ですね、色々。ここら辺買い物もできるし。駅も近いし」

「そうですね。でも僕の買い物といえば……近くのスーパーで味噌ラーメンですけど」

「あはは、そうですよね」




「小林様は?どちらにお住まいで?」

「あぁ〜……実は、ちょっと今友達の家を転々としてて」

「お友達の?」

「はい……えっと、恥ずかしいことですけど、家追い出されちゃって」



「えっ……」

「家賃、私払えないから彼に払ってもらってたんです」


「あ……なるほど」

「でも今は大分収入もあるんですけどね。モデルで」


「……」

「……なにか?」


「い、いいえ。あの……そうですね……」

「?」


「実は、あの……僕の家……」




夏彦が言いかけたところで、彼の部下がバタバタと戻ってきた。

ドアをドカーンと開けて、書類を片手に。

微妙に汗をかいていた。



「あのっ!申し訳ございません!今、持って参りました!!」

「あ、どうも」


夏彦は言いかけていたことを丸呑みにして、部下に言った。


「じゃぁ……もう、下がって」

「は、はい!本当に、申し訳ございませんでした!」



そういうと、部下はバッターンと強くドアを閉めて、またドタバタと去っていった。

なんだか体育会系な感じで面白かった。

夏彦も、自分のことではないものの、恥ずかしそうに頭をかいた。



「すみません……まだ教育が足りませんで……」

「いいえ、いいんです。面白いし」

「はは……すみません」



夏彦は部下から受け取った書類を束ねて、また元の席に戻った。




それからは、事務的なことが続いて、続いて、今日はそれで終わった。

夏彦は、マニュアル通りに、キチキチとした接客で対応した。



キャンセルして、私はちょっと悲しいと言うか……虚しくなったけど、でも自分でも驚くほど、もう吹っ切れていた。

大丈夫だ。もう、ひきずっていない。














「この度は、ありがとうございました」

「はい、こちらこそ、お世話になりました」



「これで婚約の件等は全てキャンセルということになりましたので」

「はい」



「おつかれさまでした」

「おつかれさまでした」



「じゃぁ……失礼します」

「はい、ありがとうございました」




そんな感じで、ふつーに別れの挨拶をする。

なんだかもうこれで夏彦とお別れかと思うと寂しい気もするな。





帰り道。

行きはタクシーで来たけど、帰りは歩きで行こう。

今日は仕事もないし、予定もない。

スローなテンポに憧れていた、高校時代。

学生とはいえ、部活に勉強に、忙しい日々だったんだ。




ゆるやかな風につつまれて、私は気分が良くなった。

目を軽く閉じて、春の香りを楽しむ。

ご機嫌な私は、バッグを必要以上に振り回して歩いた。





そんな気分だったからか、気がつかなかった。

新人夏彦がいつまでも、私の後ろ姿を見つめていたのを……












2006,02,09.



  
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